
壮画:ゆすらうめ2010我が家の庭にあるユスラウメ。
庭がとっても狭いのにどうしても欲しくて、やむなく鉢植えで育てているのですが
鉢底の穴から根を出してとんでもないところに地植え状態になっています(^_^;)
いまちょうどかわいい赤い実が熟しています。
まだそれほど大きくないしやはり鉢植えなのでそれほど実の数は多くありません
せいぜい300グラムぐらいかな?
今年はうっかりしていてもう収穫まったなしになってしまって
壮に絵を描いてもらえませんでした~( ´△`) アァ-
上の絵は去年の実りを描いてもらったものです。
下の絵は2005年に描いたもの。

壮画:ゆすらうめ2005だいぶタッチがちがいますね~。
変わったわけではないんです。本人も変えているつもりはないんです。
意図的にしているわけではなく
本人はいつも見たままありのままを描いているつもりです。
本当なら写真のように本物のようにうまく描きたいと思っている…様な気がする。
壮は絵を描くときモチーフをそれはそれはじっくり観察します。
それに色を付ける時も何度も何度も色を作ってはためしながら納得のいく色をつけます。
見ていてじれったくなるほどですから(^_^;)
壮は絵を描くために指導を受けていない
いわゆるアウトサイダーアーティストになるのだろうけれど
定義としては自身の内からほとばしり出る心の芸術的表現とでもいうのでしょうか?
だとすれば壮はちがうのかもしれません。
もともと壮は絵を描くことが好きだったわけではありません。
中学進学の際、地域の中学校を選ばずフリースクールに通うようになったとき
自由な中で目標を与えなければただパソコンのネットの中に浸りきってしまう壮に
一つだけと与えた課題が絵を描くことでした。
それまで自力で絵を描いたことはほとんどなかった壮に絵を課題としたのは
私の好みを押し付けただけだったのです。
初めはまったく描けず、学園長に下書きを描いてもらってそれに絵具で色を付ける
というところから始まりました。
それが1年以上続きやっと自分で下書きから描けるようになりました。
それからは下手な中にも徐々に絵に味が感じられるようになり、
周りの方から癒されると、ほめられるようになりました。
それまでほめられることなどなかった壮にとって
絵を描くことは使命のようになりました。
進んでは描きませんが、描いてと言われると描きます。
そして本人はうまく描けているかとても人の評価を気にします。
私たちが壮にできることはモチーフを決めることと
どこまで描いたらいいかのアドバイスです。
「描きたいものを描きたいように描いて」
という言葉は壮にとって一番困難なことなのです。
初期のころの絵を気に入ってくださった方の中には
昔の絵の方がよかったとおっしゃる人もおられます。
それは仕方のないことですが、壮はいつでも上手に描きたいと思って描いています。
描けば描くほど手馴れてくるのは自然のことで、壮は自分のタッチにこだわるという気はないのです。
壮が絵を描き続けていて
次第に面白味がなくなっていくと思われることが私はずっと怖かったのです。
壮はうまくなりたがっている、そして実際うまくなっていると思いますが(親ばか)
もっとほめてもらえると思っていたら逆にだんだん人が離れていく…なんて
その時の壮の心を思うだけでつらいのです。
自身のなかからほとばしり出るアートが芸術家、画家なら。
壮はクライアントがあってそちらの希望に則した絵を描く、挿絵画家にあたるのでは?
と考えたりしています。
たとえ描きたいものを描いているのではなくても
描いた絵には壮の秘めたるみずみずしい感性が込められているはずだし
なにより私が壮の絵が大好きでずっと描いていてほしいと思うのです。
やっと見つかった壮にとってのやりがいをずっとつかんでおくにはどうしたらいいか
これからも一生懸命考えたいと思います。
ふ~っ……ながっ(-_-;
ここまで読んでくださった方、ありがとうございましたm(__)m
ところで今年のゆすらうめの収穫は
さっそくジャムにしました!
朝食にパンにぬりぬりしま~す!

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